有り難う、左様なら

2006年3月20日
六畳一間のあの部屋に帰ることはもうないのです。
部屋に鍵を下ろしたとき、何故か涙がこぼれた。

退居鍋、そしてその後のなし崩し的な引っ越しに参加、ご協力して下さった皆さま本当にお疲れ様でした。
引っ越しは不手際が多くてゴメンね。結局、焼き肉後に倉庫まで自転車で三往復しました。

それにしても最後の最後まで何時もと変わらない俺の部屋で行われる鍋でございました。
鍋の会場としてのあの部屋はなんでもなくて、ごく当たり前に、ナチュラルに狂っているそんな場所でした。
呼吸するように自然に馬鹿なことが出来る、馬鹿なことになっている空間というのは日本中探したって
そんなにはないんじゃないのか。あの六畳は数少ないそんな空間だったっと思います。
僕らが導き出した馬鹿の同時性と共有性の最適解があの萌え屋敷だったんじゃないのかなぁ。

僕は第二会室の時代は体験していない。だけどその時代の話を人伝で聞いて、
知識としてその神話の御代の出来事は知っている。
いつの日か鍋に来てくれた下の代の子たちがそのまた下の子たちに在りし日のあの部屋のこと
を語るのだろうか。語ってくれるのだろうか。
ともあれきっとそんな風にして僕たちはSF研の歴史の中の登場人物の一人になるのだろう。
そしてあの鍋とコンロは僕たちの生きた証として月軌道上を永遠に巡るのだ。

実家は寒いです。

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